初出:『花札学徒鉄火録~正伝~』黎明篇-ある少年の通話内容-
日本国の一地方都市にある高等学校。学び舎としての歴史は古く、1897年(明治30年)に華族の小野喜代晴が私財を投じて「花ヶ岡女学校」を創立。「胸襟秀麗と和風慶雲を尊ぶ婦女子を育成する場」、いわゆる「お嬢様学校」として地域に根付き、地元をはじめ全国各地から入学希望者が集まった。
ごく最近まで女子生徒のみを受け入れ、《仙花祭(学校祭)》一般公開日を除いて男子禁制を貫いてきたが、昨今の少子化が引き起こした生徒数の減少、「異性交流、断じて許さず」の旧態依然とした学校側の姿勢に、卒業生達から「異性との交流は青少年の情操教育に決して悪ではない」と教育方針転換の必要性を指摘され、男女共学制へ舵を切った。なお、『花札学徒鉄火録~正伝~』は共学制へ移行してから2年が経過した年が舞台となっている。
生徒数は三学年含めて1500人以上、各学年10クラスと大所帯だが、男女比率は1対9の圧倒的女子優位の状況が続いている。男子トイレや更衣室が少ない、《購買部》に陳列される商品は女性物ばかりと、今後も男子生徒にとって決して住みよい空間ではないと予想されている。一方で学校側も男子劣勢を憂い、男子生徒の設備を増強した新校舎を建設中、竣工は《近江龍一郎》が三年生へ進級する頃となっている。
生徒達の学力は他校と比べて高く、「入学するには内申点がBランクはないと厳しい」とされているが、一方で高校入試当日獲得点数が満点に近ければ、ランクに関係無く入学が可能(ただし、素行不良生徒は満点でも不合格となる)。系列校からの内部進学制度は無く、創立者の小野が「出自を問わず、純粋な学習意欲を持つ少女の教育」に重きを置いた故である。
敷地内は大まかに本校舎・《部室棟》・体育館・運動場と分ける事が出来、座学や実習を受ける際には本校舎、体育などの運動をする際は体育館と運動場、部活動に所属している場合は放課後に部室棟(部室が本校舎に置かれている場合もある)へと、生徒達は日々敷地内を歩き回っている。
「自立・自律の精神」を重要視し、基本的には《生徒会》を中心とした校内の自治を生徒達に委任している。生徒会に属していた生徒は大学への学校推薦型選抜に際して有利に働く為、将来を見越して生徒会へ入会したがる生徒も多い。また、花ヶ岡高校で特筆すべきは《花札》を主とした《賀留多文化》であり、生徒の中には「自由に賀留多を打てるから」という理由で受験する者も存在する。
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